京大名物のタテカンが全て撤去された
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京都大学の学生や教員や地域住民が作成する立看板(以後「タテカン」)は、長年京都大学周辺の文化的景観の一部でした。しかし、いまではそうしたタテカンの掲出が全て禁止されてしまっています。
わたしたち京都大学職員組合のタテカンも、2018年5月に学生たちによるタテカンと共に撤去されたままです。法人との度重なる団体交渉にもかかわらず、ついに納得のいく説明がえられなかったために2020年6月に再掲示したところ、半日も経たずに再撤去されてしまいました。学生たちも散発的にタテカンの再設置を試みていますが、同じく大学側により即時に撤去されています。
このプロジェクトで実現したいこと
◇学生・市民とともにタテカン文化を取り戻したい
わたしたち京都大学職員組合は、京都大学における労働条件の改善や学園の民主化などに取り組んできました。わたしたちは、自分たちのタテカンの再掲示をするばかりではなく、学生、市民とともに京大のタテカン文化を取り戻したいと考えています。そのために国立大学法人京都大学と京都市を相手どって裁判をたたかいます。
京大タテカン撤去問題の論点
(1)不公平で不当な条例の規制 ~広大なキャンパスにわずか5?しか表示が認められない
職員組合が掲出していたタテカンは、公道へのはみ出しもなく、京都市屋外広告物条例に定める面積や色彩の条件を満たし、軽量の掲示ボードを用いて強く固定し安全性にも十分配慮したものでした。それにもかかわらず、撤去されてしまいました。その理由は、立看版の仕様や安全性の問題ではなく、京都大学の敷地に掲出できる表示物の総面積が、京都大学自身の表示物だけで条例の許容する総面積をすでにオーバーしているためだということです。
京都市屋外広告物条例は屋外表示物の面積を制限しており、京大に隣接する市街地では、例えば間口が10mの1区画には15?までの広告を出すことができます。ところが、約1,600mもある京大本部キャンパスの外周全体に同じく15?上限の基準が適用されています。また、広大な敷地 (約10万?)であるため、種別の異なる複数の規制区域が設定されており、15?より厳しい上限5?規制区域も含まれています。そのため、学会や公開シンポジウムのタテカンも、近所の保育園のバザーのタテカンも、学生のサークル・文化活動の看板も、ただの1枚も出すことができなくなっています。このような措置は法律・条例の運用としても不当ですし、研究・教育を始めとする大学でのさまざまな非営利活動を抑圧する不合理な差別です。
(2)歴史的景観保護と表現の自由
私たちは、京都の歴史的文化的景観を保全しようとする理念に異存はありません。しかし、歴史的文化的景観とは行政が一方的に価値判断できるものなのでしょうか。長年にわたる歴史をもつ、京大の周りタテカンが並ぶ風景もまた、京都の歴史的文化的景観の一部ではないでしょうか?
京大の周りに並んでいたタテカンの内容は、学生たちの部活やサークル活動の告知、学費の値下げや無償化を求める声、労働組合活動の広報等であり、営利を目的とする広告は一つもありませんでした。日本国憲法において表現の自由が保障されており、京都市屋外広告物条例の上位法である屋外広告物法においても「国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない」と示されています。これまでの最高裁判所の判例においても、「表現の自由」など「精神的自由を規制する立法の合憲性は、経済的自由を規制する立法よりも、特に厳しい基準によって審査されなくてはならない」という見解が示されています。こうした観点からも、純然な言論活動であるタテカンと市街地の商業広告を同列に制限する京都市の規制行政の在り方には大きな疑問を抱かざるを得ません。
もとより、安全性への配慮は必要です。今後は組合以外の方々とも協力しながら、設置場所や固定の仕方など安全性を確保したタテカン文化の再興を講じるべきだと考えています。
(3)パブリック・スペースとしての京大タテカン
タテカンは、戦後日本の大学が生み出した独自の表現形式です。それは、地域住民と大学構成員の入り交じり合うパスブリック・スペースの一部であり、ふと足を止めることのできる大学の「縁側」でもあります。京都大学の「基本理念」は「開かれた大学として、日本および地域の社会との連携を強めるとともに、自由と調和に基づく知を社会に伝える」と謳っていますが、すべてのタテカンを撤去したキャンパスは外部の者を拒絶する「城砦」のようです。タテカンの一方的撤去は日本国憲法に定める「表現の自由」の抑圧である点において、「学問の自由」「言論の自由」を抑圧する近年の傾向とも通底しています。「トップダウンのガバナンス」により隅々まで管理統制された空間に新たな発見や文化創造のエネルギーが育まれるとは思えません。
(4)京都市と京大が責任を押し付けあい、もう裁判しかない
職員組合は、2018年5月のタテカン撤去以後、京都市に出向いたり何度も問合せをし、京都大学法人とも団体交渉を重ねてきました。しかし、京大法人は「条例に定められているからしかたない」と述べ、京都市は「京都大学に任せているので関知していない」と、お互いに責任を押しつけあうばかりです。わたしたちは、こうした膠着状態の突破口を開くためには裁判を起こすしかないと決意しました。京都大学の構成員はもとより、今日の大学のあり方や「表現の自由」に関心を持つすべての市民のみなさんにこの裁判闘争を戦い抜くための経済的な支援を呼びかけます。